あまりに突飛な質問。
ファーストキス。初めてのkiss。
瑠駆真の意図がわからず眉をひそめ、だが質問されて迂闊にも記憶を辿ってしまう。
初キス。それは雨の日だった。まだ下町のボロアパートに住んでいた頃で、四月だった。
そして相手は、聡だった。
言えない。
咄嗟に判断する。
言えるワケがない。自分より聡を選ぶのかなどと興奮する瑠駆真に対して、相手は聡でしたなどとは、それこそ口が裂けても絶対に言えない。
「な、なにを突然」
必死に冷静を装おうとする。
と、瑠駆真は突然身を起こし、両手を美鶴の両頬の横に付いて見下ろす。
「どうしたの?」
そう問いかける口調も、その瞳も、瑠駆真のすべてが、まるで押し倒した時の激情など嘘であるかと思えるほど静かだった。
おかしい。
美鶴は思った。だが、相手の異変の原因が何なのか、見当も付かない。
何? 私、何か変なコト言った?
いや、変な事を言っているのは瑠駆真の方だ。だいたい、なんでこんな時に突然初キスの相手なんか聞く?
「何を動揺しているの?」
首を傾げて問いかける瑠駆真。
「何を焦ってるの?」
「焦るだろう、普通は」
「どうして?」
「どうしてって、初キスがどうとかなんて質問されたら誰だって」
「だからどうして?」
「どうしてって、だからっ!」
「相手は、僕じゃないから?」
美鶴は目を見張った。一瞬、何を言われたのかわからなかった。
そんな相手に、瑠駆真は瞳を細める。
「校庭で、僕は君にキスをしてしまったよね。聡や他の生徒の目の前で」
「あっ」
忘れてたっ!
その表情が、瑠駆真の何かをプッツリと切ってしまった。
「あの時より以前に、誰かとしていたんだね?」
「いや、ちがっ」
「誰? まさか澤村じゃないよね?」
「違うっ!」
「じゃあ、あのキザな霞流って人?」
「冗談っ!」
否定しながら羞恥で顔が赤くなるのを必死に抑える。
霞流さんとキスだなんて、そんな事。
胸の内に広がる、虚しさのような寂しさのような息苦しい感情。抑えるのに必死で、瑠駆真の心情を読むだけの余裕なんてない。
だから、答えられなかった。
「じゃあ、聡?」
「っ!」
美鶴、なぜ君は、嘘をつくという芸当ができないんだ?
「聡なんだな?」
「違うっ」
「違わないだろう?」
「ち、違う。聡とはっ」
「美鶴、やめろよ」
「本当だ。聡となんて私は」
「やめろ」
「相手が聡だなんて、私は一言も」
「やめろっ! 嘘をつくならもっと判らないようについてくれっ!」
叫ぶなり唇を塞ぐ。
信じていたのに。
怒りをぶつけるように押し付ける。
「やめ、瑠駆真、落ち着け」
「無理」
逃れる唇を諦め、首筋に息を吹きかける。
「いつだ? どこで?」
「そんな事、どうだっていいじゃないか」
無理だ。いまさら言い訳はできない。嘘なんて、ごまかしなんて、最初から無駄だったのだ。瑠駆真相手に、嘘など付けるわけがない。
「お前にはどうでもいい事だ」
「よくないよ」
そうだよ。全然よくない。
聞いたのは僕だ。知りたいと思ったのは僕だ。だから責任があるというのなら、それは僕の方にある。だが、だからといって、何もこんなにあっさりと僕の淡い夢を打ち砕く必要はないんじゃないのか?
君は、僕に罰でも与えるつもりか? だとしたら何の罪で?
美鶴、君は残酷だ。
騙されたままの、たとえ偽りだとしても幸せを感じる事のできるような、そんな甘い世界を、君は僕には与えてくれない。知らなければ良かったと後悔してしまうような真実まで、きれいさっぱりと曝け出してしまう。
ファーストキスの相手は聡。
こんな残酷な真実を、君はどうしていとも簡単に明かしてしまうんだ?
校庭での僕とのキスなど忘れてしまうほどの、情熱的なキスだったのか?
「美鶴、わからないよ」
強く抱きしめる腕が震える。声も震える。
わからない。
「君は、僕の事をどう思っている?」
「どうって?」
「やはり聡なのか?」
「違う?」
「違う? さっきからそればっかりだな」
ははっと、乾いた声が耳元で響く。
「聡も違う。でも僕の気持ちも受け入れてくれているワケではなさそうだ」
耳元から顎へ。吐息が移動する。
「そのわりにはこうやって簡単に許してしまうんだな」
カッと頭に血が上る。全身に力を込めて押し返そうとするが、美鶴の力で敵うはずがない。
「お、お前らが勝手に」
「あぁ、そうさ。僕たちが、僕が無理矢理に奪っている」
両手で頬を挟む。逃れられない唇が、目の前でふっくらと震えている。
「今までもそうだった。だからわかるはずだ。僕がどれほど本気かって事が」
そうだ。いまさら認めないワケにはいかない。瑠駆真は、そして聡も、きっと本当に想ってくれている。その事実から、もはや目を背ける事はできない。
「なのに君は、何も答えてはくれない。なぜだ?」
それは、答えられないから。瑠駆真の気持ちにも聡の気持ちにも、美鶴は答える事ができないから。
「君は僕の事をどう思っている?」
どう思っているのか?
同じような質問を、聡からもかけられた。受け入れられないと、答えた。
「瑠駆真の気持ちは、私には受け入れられない」
「なぜだ?」
なぜ?
その質問も聡と同じ。
「どうして?」
「それは」
答えなければならない。なのに、答えられない。
どうしても、どうしても霞流慎二の名前を口に出す事ができない。
「ハートのエースに変えてみせますっ!」
そう豪語したクセに、それでもまだ自分は恐れている。
どこまで臆病なのだ。
「やはり聡か?」
「違う?」
「何が違うんだ? 僕もダメ。聡もダメ。否定ばかりじゃないかっ!」
「瑠駆真じゃない。でも俺もダメ。何なんだ? 美鶴、お前は俺たちを、俺をどう思っているんだ?」
聡も瑠駆真も、同じ苛立ちを募らせている。当然だ。当たり前だ。美鶴が明確な態度を示していないのだから。
なぜ? どうして? キッパリと突き放してしまえばいいのに、なぜできない? なぜ好きな人がいると、はっきりと霞流の名前を口にして突き放す事ができない?
どうして―――っ!
「美鶴、君は男というものを少し侮ってやしないか?」
「え?」
「それとも、僕や聡だけが特別に侮られているだけなのか?」
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